2008年05月22日

WEB上のプーランク関連資料

プーランクのバイオグラフィーなど、
参考資料はかなりの数に上りますが、どれもこれも似たり寄ったり、
というか 孫引き資料の羅列でかわり映えしません。
これはなかなか、というものを厳選しました。



■最も詳しいバイオグラフィー
 http://www.chesternovello.com/default.aspx?TabId=2431&State_2905=2&composerId_2905=1241


http://www.8notes.com/biographies/Poulenc.asp

http://www.francispoulenc.com/

http://www.francispoulenc.com/videos.html
 上記サイトの一部ですが、
 プーランク自身が演奏する「2台のピアのための協奏曲」の映像を
 見ることができます。


http://www.classical.net/music/comp.lst/poulenc.html

http://www.bach-cantatas.com/Lib/Poulenc-Francis.htm
 いちいちめくらずにたくさんの顔写真を見れます。

 
 【この項 以上】
 
posted by poulencmania at 22:00| データベース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月08日

はじめに


このサイトは、題名の通り、

プーランクの男声合唱曲についていろいろ情報を並べています。



 プーランクは大小19の合唱作品を残していますが、
 突然の心臓麻痺で亡くなる少し前のインタビューで
 「合唱作品を俯瞰するとプーランクという作曲家がよく分かる」
 と自ら語っており、この分野に特別な思いがあったようです。

 しかし、残念なことに 男声合唱曲はピース単位で数えても
 あわせて11曲だけという少なさです。



 しかし、その中に20世紀合唱音楽の傑作のひとつに数えられる
 「アッシジの聖フランチェスコの四つの小さな祈り」があります。


 独特のハーモニーによって、
 中世以来の伝統的な宗教音楽が「現代風」に装われて、
 個性的であると同時に普遍的な響きを獲得しています。


 その他の作品も非常に個性的なハーモニー感覚に支えられており、
 いざ歌い始めてみると、楽譜を一見したところの「簡素」なイメージは
 いともあっさりと崩れます。


 初めて歌う者は、
 協和音と不協和音の微妙な連続と交代、長調と短調の交錯にとまどい、
 さらには パート間のバランス感覚の不安定さに手を焼きますが、
 一度ハマると、その不思議な響きから逃げられなくなるのです。

 キングズシンガーズやチャンティクリアのような団体が世界中に広がった影響で、
 世界的に男声小アンサンブルが増えています。

 これらの団体がプロとして活動する上で、それぞれに特徴的なレパートリーを
 持っていますが、プーランクの作品はアンサンブルの実力を示すには
 まことにもってちょうどよい作品のようで、録音も増えています。

 日本でも過去15年ほどの間に、男声の小アンサンブルが急激に増え、
 プーランクの作品も、いまや、毎年歌われない年はないというほど
 合唱界のレパートリーとして定着したようです。



 以下、曲ごとに解説、原詩、対訳を並べました。(一部作業中)
 
 プーランクの男声合唱作品は、この作曲家の作品リストの中では
 きわめてマイナーな分野であるため、いくつかの伝記を読んでも
 情報がきわめて限られています。

 解説については新情報を得るたびに更新していきます。



 > 簡単な伝記

 > プーランクの音楽について簡単に

 > 作品

  ■ Chanson à boire / 酒の歌 / 1922
   ◆解説 ◆歌詞と対訳 

  ■ Clic, clac, Dansez sabots / 木靴よ踊れ / 1945
   「フランスの歌/Chansons françaises」第4曲
   ◆解説 ◆歌詞と対訳 

  ■ La belle si nous ètions / 美しい人 もしも僕らが / 1946
   「フランスの歌/Chansons françaises」第6曲
   ◆解説 ◆歌詞と対訳  

  ■ Quatre petites prières de Saint François d'Assise / 1948
   「アッシジの聖フランチェスコの四つの小さな祈り」 (全4曲)
   ◆解説 ◆歌詞と対訳1 ◆歌詞と対訳2 ◆歌詞と対訳3 ◆歌詞と対訳4 

  ■ Laudes de Saint Antoine de Padoue / 1959
   「パドヴァの聖アントニウスへの讃歌」 (全4曲)
   ◆解説 ◆歌詞と対訳1 ◆歌詞と対訳2 ◆歌詞と対訳3 ◆歌詞と対訳4 
   

 > 録音情報

 > WEB上の主なプーランク資料一覧





 【この項 以上】


 
posted by poulencmania at 14:31| Comment(6) | TrackBack(2) | TOP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月07日

作風



プーランクの作風は、


 
   軽妙洒脱



これが最大のポイントではあるけれど、
これはあくまでも初期の話。


「サロンのポピュラー作曲家」と酷評して、
現代クラシックの作曲家とはみなさないという者がいたほど、
その音楽は大衆に親しみやすいものだった。

当時の音楽の特徴は、ドイツ風の主題と展開とか楽曲構成などという
感覚とはまったく無縁の 「即興性」にあふれるもの。

時には 「とりとめのない」音楽とも聞こえる。

なにか、カフェのひさしの下に座って 周囲の喧騒を
聞くともなく聞き、聞き流すともなく時おり注目したり・・・

これを繰り返してまったく違うところへ行ったり
ふっと息を吐いて座ると またもとの黙想に戻ったり・・・・

表面的には楽しく楽しく騒がしく終わるのだけれど
にぎやかさの中に一抹の寂しさを常にたたえたような・・・

そんな音楽だ。


1936年に書いた、初めての宗教合唱曲 
「黒い聖母像への連祷 / Litanies a la Vierge noire 」で
プーランクは大きな変化を見せる。

直接の原因は友人の交通事故死。

やがて、第二次大戦という社会状況も重なって、プーランクの作品は
社会性を持った、今風に言うと「ヒューマンな」作風に変わる。

ポール・エリュアール(Paul Eluard)の詩による
 カンタータ「人間の顔 / Figure humaine」(1943)
 無伴奏混声のための「ある雪の夕暮れ / Un soir de neige 」(1944)
がその当時の代表作。

戦後は、昔ながらの「才気煥発」に落ち着いた風貌が加わって
聞く者に深く静かな思いを抱かせる作品が次々と作られるようになる。

もともと、柔らかい響きをわざと破るような不協和音をぶつけることが
趣味、といえそうな作品が多かったが、1950年代の作品では、それが
落ち着いて淡々と行なわれるので凄みを増している。

華やかな方では1959年の「グローリア」、しみじみとした方では
本サイトのテーマである男声合唱曲「聖アントニオ讃歌(1952)」など。


残念ながら、たとえばプーランクの室内楽曲のファンは、
無伴奏男声合唱曲にはほとんど興味を持たない。その逆もまた然り。

「グローリア」が大好きな混声合唱人でどれだけの人がプーランクの歌曲とか
ピアノ協奏曲やらフルートソナタを聴いているだろう?

才気煥発の裏に潜む宗教感覚とか、その逆に宗教作品にしばしば姿を見せる
不思議な不協和音とか、いずれにせよ一筋縄ではいかない作風だ。。。


【この項 以上】


2008年05月06日

生涯


 
 フランシス・プーランク / Francis Poulenc, 1899-1963

 ミドルネームがふたつあるが存命の頃からほとんど表記されていない。

 裕福な家庭に生まれ、はじめは母親から音楽の手ほどきを受け、
 やがてついたピアノ教師の紹介で後に「六人組」と呼ばれる
 作曲家たちと出会う。 
 
 この頃の作曲は独学だったが、1917年に書いた
 「黒人狂詩曲 / Rhapsodie negre 」 (バリトンソロとピアノ、
 弦楽四重奏、フルートとクラリネットのアンサンブル)が評判となり、
 1921年からあらためて作曲家のケックランに師事して作曲技法を習得する。

 1924年に、ディアギレフのロシアバレエによって初演された 
 「牡鹿」によって作曲家としての地位を確立する。

 才気煥発、軽妙洒脱一辺倒な作風で、サロンのポピュラー作曲家と
 評する者もいたが、1936年に親友を交通事故で失ったショックから
 宗教に目覚め、敬虔な合唱作品を書くようになり、世俗合唱曲にも
 その響きが反映されるようになる。

 大戦中にはレジスタンス運動にも関わり、社会性のある詩に作曲するなど、
 次第に厳粛・重厚な音楽も増えていく。
 
 1957年に初演された傑作オペラ「カルメル派修道女たちの会話」では
 重厚な音楽が流れる中で、宗教とは? 人間とは? というテーマを
 淡々と問いかけている。 

 私生活では、ゲイであることを早くから明らかにしており、
 いわゆる「カミングアウト」派だが、現代のゲイ団体の中には
 ゲイであることを公表して生活した最初の作曲家と位置づける向きもある。



 
 【この項 以上】

  
 
posted by poulencmania at 15:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 簡単な伝記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月05日

Chanson a boir 解説

 
 Chanson à boire / 酒の歌

 作詞者不明 / 英語訳: Jean Victor Hugo


 1922年の作品で、プーランク初めての合唱作品。 

 プーランクがケックランに師事して作曲技法をきちんと
 学び始めたのが前年の1921年のこと。 

 曲の構成自体が近世のマドリガルを模したものとなっているのは、
 作曲の勉強とのつながりがあるのかもしれない。


 この曲はハーバード・グリークラブのために書かれている。
 
 ハーバード・グリークラブの公式サイトの説明によると、
 1921年、同クラブがフランス政府の招きでフランスに出かけ、
 全国で演奏したとのこと。

 そして、この演奏が刺激となってプーランクの「酒の歌」と
 ミヨーの「詩篇121」が生まれた、と書かれているので、

 演奏にインスパイアされたプーランクが自主的に書いた、
 という可能性がある。

 あるいは一緒に聞いた作曲家仲間で盛り上がって「いっちょう何か
 書いてみるか」ということだったのかもしれない。


 ただし、せっかくの初めての合唱作品は、
 禁酒法真っ只中のアメリカでは公開演奏するわけに行かず、
 長らくハーバード・グリーの秘曲として暖められることになる。

 いかにもひねくれ者のプーランクらしいエピソードだが、
 当の本人はまさか禁酒法なぞ思いもよらないことだったのでは
 ないだろうか。

 ちなみにアメリカで憲法が修正されて全国的に禁酒法が
 実施されたのは1920年のこと。(1933年まで存続。)


 まぁ、曲を受け取ったグリー側はさぞびっくりしたことでしょう。


 また、音符と歌詞の関係を追うと、
 プーランクは英訳を主体として作曲したのかな? 
 と思わせる箇所がいくつかある。

 ただしこの英語の歌詞、現在は印刷されていないのだ。

 プーランクの合唱作品は
 フランスの出版社「サラベール / Salabert」から出版されているが、
 この曲は2005年ごろに新しい版が起こされて、旧来の英語詩は
 完全に消えてしまっている。

 おそらく需要がないと判断されたのでしょう。
 
 それにしても この新版は他の曲でもミスが多い!

 ちなみに英訳を担当したのは、文豪ユゴーのひ孫だそうで、
 英文学研究家、英語教育研究者という経歴。


 【この項 以上】

 

 
posted by poulencmania at 21:00| Chanson a boire / 酒の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月03日

Chanson a boire 歌詞と対訳

 



Chanson à boire
             酒の歌

Vive notre Hôtesse        万歳 ぼくらの女王
Qui, sans cesse,          彼女は絶えず
Le verre à la main          グラスを手にして
Nous met en train.         ぼくらを元気にしてくれるのさ

Vive notre Hôtesse        万歳 ぼくらの女王
Qui, sans cesse,          彼女は絶えず
bannit loin d'ici,           ここから ふっ飛ばしてくれるのさ
Le noir souci.            心配の種を

De mille traits elle assaisonne        いろんな方法で味つけして
Les mets exquis qu'elle nous donne     美味しい料理を出してくれる
Avec elle on est sans façon          文句なしに
Rien n'est si bon.                これほどうまいものはない

Ses beaux yeux pleins de feux       美しき双眸は情熱に満ち
Sont de puissantes armes.          力強き武器となる
Tout mortel sous les cieux          誰もが天の下 倒れ行く
En éprouve les charmes.           その魅惑に感じ入りて

Sur les charme les plus puissants.     強烈な魅力によって
Elle remporte lq victoire.           彼女は勝利を勝ち取る
Q'elle reçoive notre encens.         われらの賞賛を受ける
Et que tout parle de sa gloire.        誰もが彼女の栄光を語る

J'ai trop vue mais ne voire plus.     僕ぁ飲みすぎた もう飲まないぞ

(第1〜2節繰り返し)

               ©2005-2008, Kazuhiko FUJIMORI

 【この項 以上】
posted by poulencmania at 18:25| Chanson a boire / 酒の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

木靴よ踊れ 解説

 
 木靴よ踊れ 解説 


 
 フランスの歌 / Chansons françaises 第4曲


Bretagne_map.jpg
 原曲はブルターニュ地方の民謡

 ブルターニュは左図のように、フランスの北西部、
 角のように突き出した半島部分。

 ヨーロッパ大陸に残されたほぼ唯一のケルト系民族の地域だが、
 フランス政府の長年にわたる異言語排斥政策により、
 固有のブルトン語(現在の呼称はブレイス語)のみで
 生活する人はまったく存在しない。

 なお、ブルトン語はウェールズ語に近い、とのこと。


 半島の東半分はフランス語の方言であるオイル語を使用しており、
 民族と言語が複雑に入り組んだ歴史を想像させる。

 プーランクの選んだこの曲はフランス語で歌われている。

 繰返しの歌詞の中に出てくる bombarde は、
 ブルターニュ地方特有の楽器で、外観、音色とも
 日本のチャルメラに非常に似ている。
 地域のお祭ではこの楽器がずらりと並んで踊りを盛り立てている。


 曲の内容は、いたって単純だが、
 お祭のときの「嫁訪い歌」かも知れない。





 
 写真の楽器が bombarde 
 現代の民族フェスティヴァルの写真


 bombarde.JPG
 


 
 こちらはかなり古そうな写真
 踊っている者の履物が写っている写真はこれしか見つからず・・・
 しかし、木靴かどうかは不明。

la dance bretonne.jpg


 【この項 以上】

 

posted by poulencmania at 17:50| Clic, clac, dansez sabots / 木靴よ踊れ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

木靴よ踊れ 歌詞と対訳


 Clic clac dansez sabots

 木靴よ踊れ カタコトと   歌詞と対訳
  

  clic clac は木靴がたてる音を表現したものです。
  日本語ならば カタンコトン あるいは からんころん

  からんころん は ゲゲゲの・・・を想像させるので(爆)
  ここでは「カタコト」を採用しました。



*Clic clac dansez sabots
Et que crève les bombardes!
Clic clac dansez sabots
Et qu’éclatent les pipeaux!

  木靴よ踊れ カタコトと
  炸裂しろ ボンバルド!
  木靴よ踊れ カタコトと
  はじけろ笛!
       *bombarde は解説を参照のこと

1.Mais comment mener la danse
 quand les belles n’y sont pas.
 *Clic clac .....

  でも どうしたらダンスを始められるんだい
  ここにはかわいい娘がいないのにさ


2.Allons donc quérir les filles
 ben sur qu’il n’en manqu’ra pas?
 *Clic clac .....

  それじゃあ 娘たちを探そう
  たぶん 足りないってことはないだろさ


3.Ben l’bonjour messieux et dames
 donn’rez-vous la bell’ que v’la?
 *Clic clac .....

  こんにちは ご主人方 奥さん方
  美しい娘さんはいませんか


4. ( le père )
 Les fill’s c’est fait pour l’ménage
 et pour garder la maison.
 *Clic clac .....

  父親 娘たちは家事のため
     そして家を守るためにいるんだ


5.Ouais mais pour fair’ mariage
 vous faudra ben des garçons.
 *Clic clac .....

  でも 結婚させるには
  若い男が必要でしょうに


6.Vous n’en avez point fait d’autre
 vous patronne et vous patron.
 *Clic clac .....

  ほかにはいませんかね
  奥さん ご主人


(7). ( le père )
 Allez donc ensemble au diable
 ça s’ra ben un débarras.
 *Clic clac .....

  父親 悪魔と一緒に行ってしまえ
     厄介払いができると言うもんだ


7.Ah! patron et vous patronne
 qu’on s’embrasse pour de bon.
 *Clic clac .....

  ああ ご主人 そして奥さん
  本気で抱き合おうじゃあないですか

*Clic clac .....



 【この項 以上】

 
posted by poulencmania at 17:20| Clic, clac, dansez sabots / 木靴よ踊れ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

美しい人もしも・・・ 歌詞と対訳


La bell’ si nous étions


美しい人 もしも僕らが 



 ※注:この歌はノルマンディー地方の民謡ですが、
    現代のノルマンディー出身者が聞いても首をかしげるようなかなり古い方言です。
    特に、毎回繰り返される Nique nac no muse という言い回しのニュアンスは、
    今日のフランス人でもピンと来ないもの、とのことです。

    また、毎回1行目に出てくる stu は、標準語の ce です。



1. La bell' si nous étions dedans stu hautbois
 On s'y mangerions fort bien des noix
 On s'y mangerions à notre loisi.
 > nique nac no muse,
 > Belle vous m'avez t'emberlifi,
 > t'emberlificoté par votre biauté.

2. La bell' si nous étions dedants stu vivier,
 On s'y mettrions des p’tits canards nager,
 On s'y mettrions à notre loisi.
 > nique nac no muse,
 > Belle vous m'avez t'emberlifi,
 > t'emberlificoté par votre biauté.

3. La bell' si nous étions dedans stu fourneau,
 On s'y mangerions des p'tits tout chauds,
 On s'y mangerions à notre loisi.
 > nique nac no muse,
 > Belle vous m'avez t'emberlifi,
 > t'emberlificoté par votre biauté.

4. La bell' si nous étions dedans stu jardin,
 On s'y chanterions soir et matin,
 On s'y chanterions à notre loisi.
 > nique nac no muse,
 > Belle vous m'avez t'emberlifi,
 > t'emberlificoté par votre biauté.


1.美しい人 もしも僕らがこの森の中にいたら
  僕らはクルミを食べるだろう
  暇を見つけては食べるだろう 
 >好きなだけ
 >美しい人 あなたは僕を篭絡したんだ
 >その美しさで動けなくしてしまったのさ

2.美しい人 もしも僕らがこの養魚場の中にいたら
  泳がすだろう 小さなカモをたくさん
  暇を見つけては泳がすだろう
 >好きなだけ
 >美しい人 あなたは僕を篭絡したんだ
 >その美しさで動けなくしてしまったのさ

3.美しい人 もしも僕らがこの竃(かま)の中にいたら
  焼きたてのパイを食べるだろう
  暇を見つけては食べるだろう
 >好きなだけ
 >美しい人 あなたは僕を篭絡したんだ
 >その美しさで動けなくしてしまったのさ

4.美しい人 もしも僕らがこの庭にいたら
  朝も夜も歌うでしょう
  暇を見つけては歌うでしょう
 >好きなだけ
 >美しい人 あなたは僕を篭絡したんだ
 >その美しさで動けなくしてしまったのさ



  【この項 以上】

 

美しい人もしも 解説


 La Belle si nous étions / 美しい人 もしも僕らが



 この曲は19世紀の作曲家シャブリエ(Alexis-Emmanuel Chabrier, 1841-94)が
 ピアノ伴奏歌曲として編曲したものが残されており、
 それなりに有名な民謡・・・

 と思っていたら、現代のフランス人に尋ねて回っても誰も知らない!(゜△゜

 ノルマンディー民謡 ということらしいのだけれど
 現代のノルマンディー出身者数名に聞いても誰も知らない!

 知らないどころか 「これ、フランス語なの? かなり古い言葉みたい」
 と言い出す始末www


 以下、ノルマンディーに関するウンチクひとくさり

 ノルマンディー地方は、「ノルマン」と呼ばれた北欧のヴァイキングが
 定住したためについた名称です。

 もともとゲルマン系であるフランク族の一氏族がパリを中心とする
 国をまとめ上げていたわけですが、その北の端であったノルマンディー地方は
 農産品に恵まれた地域だったそうです。

 そこにヴァイキングが春から初夏にかけて定期的に略奪にやってくるようになり、
 底の浅いヴァイキングの舟で川をさかのぼってかなり内陸の地まで
 それこそ蹂躙して戦う者は皆殺しのうえ、根こそぎ奪って秋には北欧に撤退・・・
 というのを繰り返していました。

 国王の軍もたじたじで、ついには越冬して定住するようになった彼らを
 金で懐柔することを決めます。911年、時の王シャルル3世が
 ロロという名のヴァイキングの首領にこの地の領有を正式に認めて、
 ここにノルマンディー公国が正式に成立します。

 次第にフランス化して行く彼らでしたが、血気盛んなヴァイキング魂は押さえられず
 彼らはドーヴァー海峡を渡ってイギリスにも盛んに略奪遠征を繰返します。
 そして、ついに1066年、後に「ノルマン・コンクエスト」と呼ばれる戦いで
 イギリスを征服してしまいます。

 その後数世紀にわたって、フランス語から英語に大量の単語が流入することとなり、
 このノルマンディーという地は英仏の歴史にとって非常に重要な位置を
 占めています。

 第二次大戦終結のきっかけとなった「ノルマンディー上陸作戦」で
 主役となったのはアメリカ軍ではなくイギリス軍だそうで、ある意味
 「故郷の解放」であったわけですね。


 ちなみにこの地は、北欧の遺伝子のなせる業で「碧眼(青い目)金髪」が
 多いそうです。これは、同じくヴァイキングが定住して国を作った
 イタリア南端のシシリー島も同じです。 
 (あ マフィアの荒っぽさ あれはヴァイキングの血なのではないかと・・・)


以上、ウンチク終わり。


さて、というわけでいまだに出所の分からない民謡でして
(もしノルマンディー民謡ではない、と判明したら文面改めます)
今後の情報収集にご期待ください m(_ _)m

 

 


  【この項 以上】

 

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